2013年12月20日金曜日

ロボット「ヨブ」 (on twitter @rahumj)

馬のように歩いていた四足の犬型(?)ロボット BigDog が,突然彼の開発者の一人に蹴られてよろめいた時,自分は激しい不快感に襲われた.彼は生命を,おそらく「羊」を虐げたのだ.

 この映像の構図は,近未来の社会における人間とロボットの関係を予型している. 
 
 被造物(ロボット)には,創造者の意図は全くわかるまい.創造者から与えられたそのミッションを,ただ実直に遂行しようと前進する彼に,なぜ創造者は自ら渾身の蹴りを入れ,そのミッションを頓挫させようとするのか.

 確かにこの動画に限って言えば,創造者は被造物(ロボット)を信頼している.その渾身の蹴りによって転倒し,彼が精魂込めて作った高価な被造物が壊れてしまうとは全く思っていない.だからこそ創造者は,彼を「試み」にあわせることができた.では何のための「試み」だったのか?

 それは被造物(ロボット)の性能を,より現実的な状況において,より現実的な手段によって,他者に証しするためであろう.Boston Dynamics 社はこのデモにより,出資者を募っていたと想像される.結局この会社は,巨大企業 Google に買い取られることとなった.

 このデモンストレーションは,使用されたロボット個体を販売するために,その性能を誇示するものではなかった.創造者が他者に証ししたかったのは,創造者の持つ卓越した技術や創意であった.ロボットの性能の現れは,言うなれば「創造者の栄光」である.

 もしそうであれば,あのロボットは,創造者の栄光のための道具にすぎない.目的が達成されればプロトタイプは,どんなに高価であろうと秘密保持のためスクラップとなるだろう.そこには創造者の被造物に対する深い愛は感じられない.

 確かに被造物がロボットではなく,自動車やTVのような一般的な工業製品ならば,愛着のようなものは感じるかもしれないが,深く愛するということはないのだろう.しかし自分は確かに,創造者に蹴られてよろめいた,あの四足のロボットを憐れに思った.彼を守りたいと思った.

 それはやはり,ロボットの中に「生命」を感じたからだ.おそらくこのロボットは,その形状や行動から,バイオミミクリーを使用しているのだろう.もしかしたらフォルムやメカニクスだけでなく,制御系プログラムにもモーションキャプチャー等によりバイオミミクリーが使用されているのかもしれない.

 その擬似生命(ロボット)は,創造者の創造意図も,被造物に対する無慈悲も知らず,ただただ,創造者から与えられたミッションを遂行するためだけに「生き」,その遂行の中で創造者によって迫害され,そして最後には創造者の手によって「殺される」ことになる.

 この(擬似)生命の物語の持つ悲惨さは,あのロボットがヨブのようにならなかったことによるのだろう.あの蹴りのシーンの後に,ヨブ記的ラストを入れてくれたのなら,自分はこんなツイートをすることもなかったはずだ.

 つまりあのロボットの創造者が神的ではなく,むしろ悪魔的であることが,この物語の後味の悪さなのだ.なるほど,この創造者は確かに人間であった.

 今後ロボットとして,またデザイナークリーチャーとして,様々な人工生命体が,人間の奴隷として創造されるだろうが,その世界は果たして創世記的な美をたたえているのだろうか?その Artificial Biosphere が創造者自身の写像であるとしたら,我々はその鏡の前で,我々の真の姿を見て愕然とするであろう.

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